A.イエス

「なまえさん、急だけどこれ今日中にお願いしてもいいかな?」
「……はい、大丈夫です!」

じゃあよろしくね。と私の名前シールが貼られた書類トレーに遠慮なしに置かれた新たなタスクに、私は周囲に気付かれないように小さくため息を漏らす。この会社に、定時退社という概念はあるのだろうか。いや、無い。終業時間はとうに過ぎているというのに営業部隊からはひっきりなしに書類の作成や入力業務の指示が飛んでくる。昼過ぎに淹れたコーヒーは大してかさを減らさないままにすっかり冷え切っていた。この会社を色で例えるならこのカップの中のコーヒーと同じ黒だろう。

結局、華の金曜日だというのに10時を回るまで書類トレーを空にすることが出来なかった。締め日間近ということもあるけれど、かれこれ1週間以上この状態が続いている。ふと、辺りを見渡せばあと数人の営業員が残るだけで事務員は私以外誰1人として残っていなかった。
仕事が終わらないのはこの会社の体制もあるけれど、根本の理由はそれではないということを私は分かっていた。私の、人の顔色ばかり窺って"イエス"としか言えない、この断れない性格が一番の原因だということを。
ただ、今更変えられない自分自身の性格を呪ったとしても時計の針が巻き戻る訳でもなく、私は騒がしさを失ったオフィスから疲れた身体を引き摺りながらその場を後にすることしか出来なかった。多分、これから先も変わらない日々が延々と繰り返されるのだろう。

ラブレス通りに位置するオフィスビルを出れば街は疲れ切った私を余所に週末の賑わいをみせていた。街のあちこちでネオンが煌めき、路沿いの酒場からは楽しげな笑い声が時折はじける。
いつもなら真っ直ぐ帰路に着くところだけど、陽気な夜の街の雰囲気が私の気分を高揚させた。一杯だけ飲んで帰ろうかな、と頭に浮かんだその時、タイミング良く路地裏にビアバーのネオン看板が目に飛び込んできた。薄暗い道で控えめに光を灯すそれに誘われ、店の扉に手を掛けた。





「こんばんはー。1人なんですけれども……」
「いらっしゃい。どうぞ、カウンター席にお掛けください。」

白髭を蓄えた優しげな初老の店主が出迎えてくれたその店の壁には、世界各地の数えきれないほどのクラフトビール空瓶が飾られていた。これだけで、店主のお酒への拘りが感じられる。店内には1組のカップル客のほか、カウンターの隅に1人の男性客が居るだけで、落ち着いていて居心地がいい。喧騒に満ちた大衆酒場も悪くないが、終日営業員の怒号を耳にしていた今の私にはこれぐらいの静けさが丁度いい。

注文はどうされますか?とメニュー表を手渡されるも、数多に並んだビールの銘柄名が恥ずかしながら何かの呪文の様にしか見えなかった。店主が一つずつビールの特徴を小さな文字で記載してくれているものの、全てをじっくり読んでいたら夜が明けてしまいそうな量だ。お酒は好きだけどこれといって詳しい訳でもなく、うんうん頭を悩ませているとククッ、と喉の奥から押し出される様な男の笑い声が耳に届いた。

「そこのおねーさん。迷ってるならカームのクラフトビールがおススメだぞ、と。」

反射的にメニュー表から顔を上げる。その声はカウンターに座っていた男のものだった。何故店に入った時に気にならなかったのか不思議なほど、目立つ風貌。真っ赤な髪にピアス、フェイスペイント。決して企業勤めではないような容姿にも関わらず、スーツを着た不思議な男。ホストか何かだろうか。想像もしなかった声の主の姿に思わず竦む私を翡翠の瞳が怪訝そうに見つめる。

「ん?ほかに飲みたいもんあった?」
「……いえ!じゃあそれでお願いします。あんまり詳しくなかったので、助かりました。」

私の反応に、赤髪の男はすっと目を細めて微笑んだ。突然のことに驚きはしたものの、彼の親切を受け取った。1人でしっぽり飲むのもいいけれど、赤の他人と気を遣わずに飲むのも悪くないな、と思ったから。

赤髪の男は私に了承を得てから隣の席へと移動してきた。薄暗い店内でよく見えなかったが、近くで見るとお世辞にも品が良いと言えないスーツの着こなしとは裏腹に上品な顔立ちをしていた。ぼんやりと灯る店の照明を浴びた長い睫毛がその頬に影を落とす。つんと筋の通った鼻も、形の良い唇も、はだけた白い胸元も、何もかもが眩暈を起こしてしまいそうな程に男性的な色香に満ちていた。平々凡々な表現しか浮かばないけれど、とても、かっこいい。こんな仕事終わりのくたびれた女が隣にいても良いのだろうか。それよりも、こんな私に何故声を掛けてくれたのだろうか。ほんの少しだけ、淡い期待が胸に浮かんでしまう。メイクも何もかもボロボロであろう自分を激しく呪った。こんなことなら、化粧ぐらい直してくればよかった。
そんな浮ついた私の気持ちを知ってか知らずか、隣に座ってからずっと私の顔を見つめていた彼は口を開いた。

「おねーさん、だいぶお疲れの様子だな、と。」 
「……残業続きで肌も心もボロボロなんです。」
「奇遇だな。俺もここんとこずっと残業続きでボロボロ。」

わざとらしく肩をすくめておどける姿が、自虐的な私を元気付けてくれているようで思わず笑いが溢れた。危なげな見た目とは裏腹にどこか優しい人柄が感じ取れて僅かに緊張していた気持ちが解れる。その流れでそれとなく、気になっていた疑問を投げかける。

「……サラリーマンとかには見えないんですけど、夜間の…接客業の方とかですか?」
「接客業ねぇ。まあ、これからお仕事っていうのは、正解。」

詳しくは教えてくれなかったけれど、夜のお仕事というのだからやはりホストか何かなのだろう。こうやって初対面でも話やすい雰囲気があるし、向いているなと思った。

間も無くテーブルに届けられたクラフトビール瓶のラベルには、チョコボのイラストが描かれていた。カームに近い牧場と提携して作られたものなのだろうか。グラスに注がれた琥珀色と白色の魅惑のコントラストに頭がくらくらした。ああ、最高の華金だ。

「んじゃ、おつかれさん。」
「かんぱい!」

チン、とグラスのぶつかる衝撃で白い泡が僅かに滴り落ちる。常温に近いぬるめのそれは華やかな香りがして、ビールなのにほのかな甘味すら感じる。舌にぴりぴりとした炭酸を感じながらグラスの半分を飲み干す。

「おいしい!」
「だろ?俺もこれ好き。」
「このお店、よく来るんですか?」
「そ。仕事の時間まで時間潰したりするのに、丁度いいんだよ。」

この辺だとここでしかコレ飲めないしな、と喉を鳴らしながら1杯目を飲み干す。気持ちの良い飲みっぷりに釣られて私も残りの半分を喉に流し込むと、疲れた身体に適度に酔いが回っていくのを感じた。ふわふわした、多幸感。彼におすすめを聞きながら、次のお酒とおつまみを注文する。こういう時は先人に教えを請うのが鉄則だ。実際に彼が選ぶ料理やお酒はどれも驚くほど美味しかった。

「……で、おねーさんはなんでそんな死にそうな顔してたの?」
「し、死にそう?」
「そ。あんまりにもくたびれてる様子だったから、思わず声掛けちまったんだぞ、と。」

けらけら笑う姿に肩の力が抜ける。そりゃそうだ。仕事終わりのボロボロの私の容姿を気に入って声を掛けてくれる訳なんかない。ほんの少しでも淡い期待をした自分がバカみたいで笑えた。こうなったらとことん仕事の愚痴でも聞いてもらおうと、テーブルに届けられた2杯目のビールを呷りながら私は口を開いた。

「私、このラブレス通りにある神羅と業務提携している会社で働いてるんですよ。運輸関係の営業の会社なんですけど。」
「へー、神羅が噛んでるなら安定してていいじゃん。」
「と、思うじゃないですか!あんまり大きい声で言えないんですけど……」

声のトーンを落として、周囲を見回す。反神羅グループの動きもあってここ最近神羅の関係者はみんなピリピリしている。定職に就けているだけでありがたいこのご時世、神羅の評判を落とすような話を聞かれたりなんかしたら、私の未来はあってないようなものだろう。

「神羅は最悪です。こっちの立場が弱いことを逆手にとってめちゃくちゃなノルマを押し付けてくるし、インセンティブも酷いし……私たちの事きっと、奴隷か何かだと思ってるんですよ、奴ら。」

今日だってサビ残でこの時間なんですよ、と訴えれば彼はケラケラ笑った。笑い事ではないけれど、彼が笑うと辛いことも楽しいことに昇華される心地がした。

「よっぽど嫌いなんだな、神羅のこと。」
「大っ嫌いです。でも神羅のおかげで生活できてるのは確かなので、普段思っていたとしても口には出せないですけどね!」

心に渦巻くもやもやとした仕事の鬱憤を押し流す様に、グラスのビールをぐいと飲み干す。お酒はその時の気持ちを増幅させるという話は本当だと思う。気付けば私は聞かれてもいないような事までつらつらと初対面の男に向かって話を始めていた。

「でもまあ、1番嫌いなのはなんでもかんでも良い人顔して仕事を引き受けてしまうしょーーもない私の性格なんですけどね!」
「イエスマンってやつだな、と。」
「そう!それ!」

今の私にぴったりな表現に思わず彼に人差し指を向ける。

「今日だってちゃんと断れば残業なんてしなくてよかったのに……でも、周りから評価されないと自分の価値がわからなくなってしまって……って、こんなこと言われても困りますよね。」

普段、会社の人に伝えられない胸の内がアルコールの力で堰を切ったように溢れ出してしまう。何を話しているんだ、私は。 
自虐的にへらりと笑えば隣の男も笑ってくれるかと思ったけれど、意外にも真面目な顔をしながら私の話を頷いて聞いていた。

「仕事、頑張ってるんだな。」

何ヶ月も、何年も耳にしていない労りの言葉に、思わず目の奥が熱くなった。酔って、感受性が少しおかしくなっていたのもあるけれど、私のことを殆ど知らない赤の他人からの言葉でも、私がずっと欲しかった言葉だったから。
俺もさあ、とテーブルに届けられたチーズを摘みながら彼は話し始めた。

「俺も仕事はキッチリやりたい性分だから、やれと言われたことに対してノーとは言いたくないんだよな。」

そのへん一緒だな、と笑う。
私はただ自分を良いように見せたいだけだから、多分彼の言う「一緒」ではないのだけれど、彼なりに励ましてくれていることが伝わってきて嬉しかった。

「だから頑張ってる子、俺は嫌いじゃないぞ、と。」
「お兄さん流石、夜のお仕事のプロフェッショナルですね。」

本業の方のトーク力というのはすごい。嫌いじゃない、という言葉に深い意味はないとは分かっていながらもちょっと、いや、かなりドキドキしてしまった。話していたら元気がでました、と伝えれば彼も満足そうに笑みを浮かべた。チラリと見える犬歯がチャーミングでやっぱりかっこいい。

「プロかどうかは分かんねーけど。まあプライドは持って取り組んでるつもり。」
「素敵です。……今度、お兄さんのお店行ってもいいですか?プロの仕事、もっと見てみたいです。」

ホストなんて興味なかったけれど、こんなかっこいいお兄さんに元気を貰う時間を過ごせるのならまた会いたいな、と思ってしまった。なんとなく、世の中のホストにハマっていく女性たちの気持ちというものが宵理解出来てしまった。

お店?と驚いたように聞き返したと思えば何か納得したように「あーなるほどね」と頷いてニヤリと口角を上げた。何がなるほどなのか私にはさっぱり分からなかったけれど。

「じゃあ今度は俺の営業時間中に、会いに来るぞ、と。」
「ふふ、楽しみにしてます。」

じゃあ時間だから、と席を外して店を後にする背中を見送る。猫のしっぽみたいに長い赤髪を揺らす姿が扉の奥に消えて、気が付いた。

「なまえ、聞くの忘れちゃった。」

きっと、会いにくるというあの言葉も夜の営業の常套句なのだろう。どこまでも仕事熱心な人だな、と感心した。もう会えるかわからないけれど、ほんのひとかけらの期待を抱きながら、きっと私はこの店の扉をまた叩いてしまうのだろう。




*****




それからというもの、予感通り私はその店に通い続けた。今まで嫌で嫌で仕方なかった残業も、この間の金曜日と同じ時間帯ならまた彼に会えるかもしれないという下心から進んで仕事を引き受けるようになっていた。もうあの日のような後悔をしないようにお店に行くときはちゃんと化粧を直して、洋服も適当な仕事着ではなくてそれなりに気を遣ったものを着ていった。あの日の幸せな気持ちを思い出したくて、彼がおすすめしてくれたカームのクラフトビールを毎回注文したけれど、1人で飲むそれは不思議とあの日のような甘さは感じなくてただただ苦かった。次に会えたら、あなたのおかげで結構前向きに仕事に励むことが出来ているという、感謝の気持ちを伝えたかった。ついでに彼の名前も聞ければいいなと思っていた。我ながら安直で、ばかばかしい行いだとは感じていたけれど、誰の迷惑になる訳でもないしお店に通うことをやめる事はできなかった。

でもあの日から、待てど暮らせど彼に会うことは一度もなかった。また会いにくるとは言っていたけれど、約束をした訳でもなく、ましてやどこに会いに行くだなんて具体的な話をしてくれた訳じゃない。ただあの時の社交辞令のような一言を勝手に信じて、浮かれていただけの自分がいよいよ惨めに思えてきて、そろそろ店通いもやめようかと思い始めた頃だった。




「よぉ。久しぶり、なまえちゃん。」

それはあまりにも突然に訪れた。彼に再会したのはあのビアバーでも、夜の繁華街でも、もちろん彼が働いていると思っていたどこかのホストクラブでもなく、日中営業から回された書類作成業務に没頭して、営業所でキーボードを必死にパチパチと叩いている最中だった。きっちりとスーツに身を包んだ人を数人を引き連れてやってきた彼は、この間のバーにいる時と同じように気さくに声をかけてきた。あまりにも場違いな真っ赤な存在に営業所内の視線が集まるのを感じる。
一体何が起こっているの?彼が、どうしてこんなところに?私の名前をなんで知っているの?後ろに立っている人の胸に光っているのは私が嫌いなあの会社の社章?数えきれない疑問が私の頭の中でチカチカと浮かんでは消え、消えては浮かぶ。言いたいことが山ほどあるのに、その中でも私は最もどうでもいいことを頭の中から掬い上げて口にしてしまった。

「……ホストって日勤もするんですか?」

もう彼がホストなんかじゃなくて、神羅の関係者なんだということは分かりきっていたのに、頭がそれを認めることを拒絶していた。私のOL人生が終わりを迎えようとしているというのに、私の発言を聞いて吹き出して笑う彼の笑顔を見てやっぱりあの日と同じように犬歯がチャーミングでかっこいいな、と呑気に見惚れてしまった。

「ちゃんと営業時間中に会いにきたぞ、と。」
「お、おい!なまえ君!これは一体どういうことなんだ!!」

社長が悲鳴のような声をあげて私の名前を呼ぶ。そんなこと、私が1番知りたい。わかりません、でも多分私のせいですと絞り出した声は笑えるほど震えを伴っていた。神羅のことを悪く言った自覚があるが、たったあれだけで本部の人間が営業所まで乗り込んでくるなんてこと、あり得るのだろうか。いや実際に乗り込んできている。

「あー、怖がらせるつもりで来た訳じゃない。ごめんな。」

クビどころかこのプレートでの生活との別れを覚悟して、きっと世界の終わりのような顔をしていたであろう私に、彼は子供を嗜めるかのように優しく声を掛けた。

「運輸事業を管轄してる都市開発部門の責任者に社員の労働状況を報告したところ、業務実態を調査しろとのお達しがあってな。まあ知り合いもいたので今回お邪魔させてもらったってワケ。」

それを聞いた社長が真っ青な顔をしている。きっと、神羅に知られると都合の悪いことがあるのだろう。後ろで控えていた黒服たちが事務所のガサ入れを始めるとともに、重要参考人はこっち、と彼は私の手を掴んでオフィスの外へと引っ張り出した。いつの間にか日は落ち、ラブレス通りはあの日のように私の心を置き去りにして楽しげな賑わいに包まれていた。時折聞こえる酒場の笑い声が、とんでもない状態に置かれている私を嘲笑っているかのように聞こえて滑稽だった。
手を引かれるがままに連れて行かれたのは私達が出会ったビアバーのある路地裏だった。握られた手が緊張とは違う意味でじっとりと汗ばんでいるのがバレてしまわないか、こんな場面でもそんなことを考えている自分のメンタルに笑えた。

「はーウケた。あの社長の顔みた?」
「な、な……なんなんですかあなたは一体……」
「俺?神羅カンパニー社員のレノだぞ、と。」
「レノさん……じゃなくて。だ、騙していたんですか、あの時から!」
「それは勝手になまえちゃんが勘違いしてただけ。」

ケラケラと楽しそうに笑うレノさん。名前を知ることができて嬉しいはずなのに、私が想像していたシチュエーションとは遠くかけ離れていた。こんな筈ではなかった。あのバーでしっとりとした、ロマンティックな再会を心のどこかで期待していたのに!
未だ状況を掴めない、パニック状態の私にレノさんは勤めていた会社の裏事情を淡々と教えてくれた。過酷な労働環境や条件は神羅の指示ではなく社長が私腹を肥やすために独断で課していた労働だったこと。横領や反神羅組織へ資金の横流しの疑いがあって今回乗り込んだということ。決して私を裁くために来た訳ではなく、あくまでも用件は社長にあったということ。あとは、名前は神羅のデータベースで簡単に調べられるということ。恐ろしすぎる。

「そもそもあんな小言で一般人を潰すほど、俺たち暇じゃないぞ、と。」
「それは……そうかもしれませんが……。意地悪です。私が勘違いしていたのを知って、隠してましたよね!?」
「スムーズに事を進めるのに必要だったから、まあそれは悪かった。はー、しかし笑える。ホストだっけ?まあ確かに向いてるかもな、俺。」

思い出した様にまたくつくつと笑う姿にどっと肩の力が抜ける。とりあえず私は悪いようにされないみたいだけれど、これからどうなってしまうのだろう。未だ不安だらけの様子の私にレノさんは気付いて「代わりの代表が来るから、職場は無くならないし、労働環境は良くなる」と告げた。ここまでくると流石に不自然だ。自惚だろうか。まるで、私の為に、私の日常を塗り替えてくれている様に感じてしまう。どうして、と未だ湧き上がる疑問をぽろりと溢せば会いにくるって言ったろ?と意地悪な笑みを浮かべる。有言実行。これもプロ意識から成されるものなのだろうか。

「……もっとロマンティックに再会したかったです。」
「これ以上の再会シーン、俺には想像できないけどな。」

そう言って未だ握られていた手をレノさんが引けば、私の体はいとも簡単にその力の方向に引き寄せられた。あの日、思わず見惚れてしまった品の良い顔が、目と鼻の先に現れる。路地裏の薄暗い明かりの中に浮かぶ赤い髪も、翡翠の瞳も、鼻をかすめるタバコと香水の香りも、全てが夢のような情景で私の思考を乱した。突然の出来事に何もかも理解ができない。ただ、とんでもない男に私は惚れてしまったのだということだけは沸騰する頭で辛うじて理解ができた。

「んじゃ、個人的な事情聴取も兼ねてあちらへご同行頂けますか?」

なまえちゃん、と社内権限で勝手に調べたという私の名前を当たり前のように囁く。彼がちらりと寄せた視線の先には、私達が出会ったビアバーの看板があの日と同じ様にぼんやりと光を灯していた。変化といえば幾度となく通ったこの店の扉を、おそらくこれより1人ではなくて2人でくぐることになる、ということ。

「イエスマンのなまえちゃんに一応、選択のチャンスをあげるぞ、と。」

来るか、来ないか。そんなの言葉にしなくたって、きっと私の真っ赤に染まった顔に答えが書いてある筈なのに、やっぱりレノさんは意地悪だ。久方ぶりに私の意志で紡いだ答えに、眼前にある翡翠の瞳は満足げに細められた。




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